2025/01/19 #557 「承認格差とは何か?」
この漫画は2024/09/29 #544でも紹介されました。この漫画の注目点は「所得格差より承認格差」という概念です。作中では、この「承認格差」がどのように描かれているかを追ってみましょう。
主人公のワタナベ君は非正規雇用者で、自分の現状を変えたいと考え自己啓発セミナーに参加します。しかし、そのセミナーが単なるマルチ商法の勧誘であることに気づかず、騙されてしまいます。さらにそこで「君がこんな目に遭うのは、自分の頭が悪いせいだ」とまで言われ、心を傷つけられてしまうのです。
ワタナベ君は小学生時代、先生に論理的思考を褒められた経験から「自分は頭が良い」と信じていました。しかし、現実では正社員になれず、周囲から軽んじられる日々。バイト先と家を往復するだけの生活から抜け出したい一心で参加したセミナーが、この結果でした。
ここで描かれるのは、「知能格差」が「成功格差」を生むという構図です。例えば橘玲さんやホリエモン、ひろゆきといった論者もこの問題に言及しており、いわゆる「知能資本主義」の残酷な一面を反映しています。
物語が進む中で、ワタナベ君はイイヤマという知的で美しい女性と出会います。彼女は宇宙好きで、話題に出たロケットについて詳細に語りますが、ワタナベ君はその会話についていけず、知能と意識の格差を痛感する場面が描かれます。イイヤマは知的で教養もあるため、彼女の話に適切に応答できないワタナベ君は自己卑下を深めてしまいます。
さらに、イイヤマの家に招待された際、ワタナベ君は彼女の育ちの良さや家族の教養の高さに圧倒されます。例えば、ティーソーサーの使い方や会話の中での文化的な知識の差が、両者の違いを鮮明に描き出します。このような「教養の差」が「階級差」や「生活意識の差」を生む様子が、細やかに表現されています。
イイヤマの父が「そのチェック柄の服は『創られた伝統』に基づいていますか?」と尋ねる場面では、ワタナベ君はその質問の意図すら理解できず、返答に困ります。この場面は、教養がある人は「教えてください」と知識を吸収する一方で、教養がない人はそれを隠そうとして孤立してしまう様子を象徴的に描いています。
物語の中で「意識の格差」が、知能格差や教養格差を超えて「生きる目的の格差」にまで広がる様子が語られます。ワタナベ君が「どうすれば頭が良くなるのか?」という問いを抱えながら、自己探求の旅を始める姿が物語の中心です。その中で、陰謀論のような怪しげな考えに取り込まれる様子も描かれ、知能格差の問題がさらに深く掘り下げられていきます。
結局のところ、この物語は「承認格差」が私たちの社会や個人の生き方にどのように影響を与えるかを鋭く描き出しており、そのテーマは非常に考えさせられる内容です。
『貧困と脳 「働かない」のではなく「働けない」』
と
『最貧困女子』
『貧困と脳』は、鈴木大介さんが執筆した、現代社会における「貧困」と「脳の働き」の関係を深く掘り下げた本です。著者は、以前に『最貧困女子』という名著を発表しており、この本では取材を通して「なぜ貧困の中で人々が同じ過ちを繰り返してしまうのか」を描き出しました。しかし、その背景には書き切れなかった「なぜ?」があったと、鈴木さん自身が振り返っています。
著者は取材を通じて、貧困状態にある人々が「約束を守れない」「重要な通知を放置する」「支援者に反発する」といった行動を繰り返す様子を目の当たりにしました。しかし、それをそのまま書いてしまうと、社会の中で「自己責任論」を助長してしまう危険があると感じ、あえて「解像度を下げて」描写したと語っています。
ところが、2015年に鈴木さん自身が脳梗塞を発症し、その後遺症として「高次脳機能障害」を抱えることになります。その結果、以前取材した貧困状態にある人々と同じ「不自由な脳」の状態を体験することとなり、彼らが「なぜ?」そのような行動を繰り返してしまうのかが、身体感覚を通じて理解できるようになったのです。
たとえば、買い物中に「レジで提示された金額を覚えておくことができない」「小銭を数える途中で枚数を忘れる」など、日常的なタスクが圧倒的な不可能感に襲われる状況を描写しています。さらに、「自分に何が起きているのかが分からない」という恐怖や、周囲の目線へのプレッシャーが、状況をさらに悪化させる様子も語られています。
このような経験を通じて、著者は「頑張ればできる」という言葉の無力さを痛感します。脳の認知能力や処理能力の差は、体力や運動能力と同様に、生まれ持ったものが大きく影響します。しかし、その違いは目に見えにくく、当事者は自分の困難を正確に認識することすら難しい場合があるのです。
この本は、現代のメリトクラシー(能力主義)が抱える問題にも切り込みます。「努力すれば誰でも成功できる」という考えは、一見すると公平なように思えますが、生まれ持った脳の特性や環境の違いを無視しています。そのため、貧困状態にある人々に対して「もっと努力しろ」といったアドバイスが、いかに空虚で無力なものかを浮き彫りにしています。
『貧困と脳』は、貧困問題を個人の責任に帰すのではなく、社会全体でどう受け止めるべきかを考えるきっかけを与えてくれる一冊です。
『タイタンの妖女』
カート・ヴォネガットの『タイタンの妖女』は、風刺的で哲学的なSFの傑作です。この作品は、運命と自由意志、愛、そして人間存在の意味を鋭く問いかけます。物語は地球から土星の衛星タイタンまでの壮大なスケールで展開し、ユーモアと皮肉に満ちています。
主人公マラカイ・コンスタントは、アメリカで最も裕福な男。彼の人生は運命に翻弄され、宇宙を股にかけた奇妙な旅に巻き込まれていきます。土星のタイタンには、ウィンストン・ナイルズ・ラムフォードという謎めいた人物が待ち受けており、彼は運命を操るかのような力を持っています。このラムフォードとの出会いが、マラカイの人生を一変させるのです。
本作では、宇宙旅行やエイリアンとの接触が描かれる一方で、物語の核心には、人間の孤独や愛の不完全さが据えられています。そして、最終的には「人間の存在意義」とは何か、という深遠なテーマが浮かび上がります。ヴォネガット特有の皮肉なユーモアが光りながらも、読後にはしんみりとした感動が残るのが特徴です。
また、作中で登場する「トラルファマドール星人」という異星人の視点が、運命や時間の捉え方に新たな角度をもたらし、読者の固定観念を揺さぶります。この異星人の存在が、物語にSF的な魅力を一層深めていると言えるでしょう。
『タイタンの妖女』は、カート・ヴォネガットの作品の中でも特に深く心に残る一冊です。社会や人生の皮肉を笑い飛ばしながらも、時折胸にグサリと刺さる真実が散りばめられています。ユーモアと哲学を愛する方に、ぜひおすすめしたい作品です。